日本橋の獅子像。前足には東京市の紋章
東京駅構内をくぐると赤レンガの丸の内口へ
和田倉橋。この門は譜代大名が警備を担当した
皇居(江戸城)をお堀に沿って時計回りに歩く
桜田門。大老井伊直弼は門外で暗殺された
四ツ谷駅前の江戸城警備の四谷見附の石垣
江戸六地蔵のひとつ太宗寺の銅造地蔵菩薩
太宗寺の塩かけ地蔵。皮膚病に効く?
空港みたいな新宿高速バスターミナル
上を走る二重三重の高速道路の下を歩く
下り急坂手前の旧道標石に馬宿川口屋の名
調布市に入るとけやきの街路樹が目につく
路上でみかけた「トウガン」等の無人野菜売り
調布の街中に「映画のまち調布」のフラッグ
池田屋事件で名をはせた新選組の近藤勇像
今回の街道歩きで初めてみた嘉永5年の常夜燈
空襲から戦闘機を守り隠しておくえんたい壕
府中市の街でみた「府中FC東京」のフラッグ
武蔵六所宮と呼ばれた大國魂神社前の大けやき
現存の府中高札場は江戸後期からのもの
火伏の秋葉山を祀った寛政4年建立の常夜燈
珍しい「上円下方」の武蔵府中熊野神社古墳
幕府の馬医者を務めた薬医門の本田家
関東三天神(湯島・亀戸)のひとつ谷保天満宮
多摩川の日野の渡し碑。渡船は大正15年に廃止
多摩川の浅瀬で川遊びする子どもたち
日野宿の本陣門。本陣内部は見学できる
戦争中の焼夷弾の痕跡を保存している大和田橋
市制100周年を迎えるJR八王子駅前
八王子空襲で折れた追分道標。補充、復元された
半士半農の武士集団「八王子千人同心屋敷跡碑」
石見土手の石垣提の一部が宗格院境内にあった
横山事務所内の天然記念物オオツクバネガシ
広大な多摩御陵にある昭和天皇武蔵野陵
高尾駅近く。せせらぎの音を聴くとホッとする
小仏関跡。「入り鉄砲に出女」は厳しく調べた
道路わきの水路と階段。その下は小仏川が流れる
はるか上には中央自動車道が走っている
緑が濃い木下沢橋近くの川。木橋もある
身近な登山道には多くのハイカーが歩いていた
小仏峠(548m)からみた緑豊かな山々。峠は国境
峠には寛政7年(1795)建立の高尾山道標がある
小原宿への下り道。ハイカーたちはもういない。
神奈川県で唯一現存する小原本陣(県指定文化財)
相模原市小原の静かな町並み。与瀬宿は近い
旧道に入ったが、この道に自信がなく別の道へ
眼下に戦後造られた大きな相模湖がみえてきた
吉野宿への道。路傍に庚申塔、廿三夜塔の石仏
藤野一里塚跡には樹齢300年余のエノキがある
台風で増水した相模川をバックに旅人の顔写真
通行人・物資などに目を光らせた諏訪番所
上野原市街地。宿並みは二度の大火で焼失した
上野原小学校にある樹齢800年以上の大ケヤキ
旅人には「街道標識」があると歩きやすい
鶴川でとれたアユが鶴川宿の名物だったという
鶴川神社の急階段。境内には「駒つなぎ石」
大椚にある吾妻神社の推定樹齢600年の大杉
野田尻で多くみかけた「出桁造り」の民家
犬目宿への道。途中「座頭転がし」標識がある
恋塚一里塚。片塚だが原形を残している
短い距離だが一里塚近くのうれしい石畳道
山谷の下り坂では富士山がくっきりと見えた
静かな山里をどんどん下っていく
下鳥沢でも軒の深い「出桁造り」の民家が多い
新猿橋から眺めた桂川(神奈川では相模川名に)
名勝猿橋。はね木を重ねて橋を掛けている
大月手前の大きな岩山に岩殿城跡がある
名主や問屋を務めた下花咲の星野本陣跡
みごとな彫刻がある真木諏訪神社の本殿
白野一里塚跡(標柱)脇に双体道祖神があった
天保大飢饉による窮状を心願した笠懸地蔵
黒野田宿の天野本陣門と明治天皇行在所跡
やはりどっしり推定樹齢千年の矢立の杉
旧道は大杉の脇の小橋を渡り急坂を上る
昭和13年に開通した長さ239mの笹子隧道
「感を頼り」に歩くと苔むした丸太橋にでた
こんどは思わず怖いと足がすくんだ丸太橋
難所を越えてあとは川沿いに下るだけだ
駒飼の芭蕉句碑「秣負う人を栞の夏野哉」
天目山めざしたが連合軍に敗れた武田勝頼
鶴瀬宿は旅籠4軒。駒飼宿とは合宿だった
広重が「絶景」と評した観音堂からの景色
往時の面影をのこす横吹集落の古道
りんごがたわわになっていた横吹の里
勝沼堰堤は明治40年の大水害後に築かれた
「武田滅亡記」を著した理慶尼の五輪塔
元禄時代から「葡萄は甲州が第一」という「勝沼ぶどう」
内郭、外郭などがある国史跡・勝沼氏館跡
徳川吉宗の次男・田安宗武の田安陣屋跡
甲府代官所の死刑執行場だった山崎刑場跡
小さな六地蔵尊。人々は何を願っただろうか
酒折宮境内には江戸時代の国学者の碑がある
石川家住宅。塗籠(ぬりごめ)土蔵造りの商家
芭蕉と親交のあった山口素堂の墓(天尊躰寺)
もはや宿場の面影がない「甲府柳町宿」通り
桃山時代の流線形屋根の穴切大神社本殿
樹齢300年余の「上石田のサイカチ」の木
長い坂を上りふり返るとかなたに富士山が
何軒もなまこ壁の家がある下今井の町並み
ずんぐりむっくり室町前期の舟形神社石鳥居
塩川を渡る橋。はるかかなたに鳳凰三山が
姫宮神社の鏡石。石の中央から富士を遥拝
馬つなぎ石。手綱を石の穴を通してつなぐ
かつては交通の要衝だった韮崎宿
七里岩の中腹に築いた雲岩寺窟観音
韮崎は武田発祥の地。市役所前の武田信義像
長野・富士見町までつづく約30kmの七里岩
茅葺の武家門。かつては武田家家臣の旧家
穴山橋からみた釜無川。何回も水害が起きた
信州へ通じる古道「はらじみち」を歩く
台ケ原宿では三日間にぎやかな骨董市がある
江戸時代からの醸造元七賢。明治天皇も宿泊
老舗の金精軒で信玄餅を買う。ここは旧旅籠屋
宿通りをすぎると前方に甲斐駒ケ岳(2967m)
声をかけると「お茶でも」としばし雑談の輪に
五基の石仏が巨石(経来石)の上に祀られている
西日にあたり真っ白なススキが風になびく
害獣よけの電流ネットが張ってある国界橋
江戸より43番目の蔦木宿本陣大阪屋の門
明治天皇の野立所。村人総出で巡幸を迎えた
国道20号には「東京から177km」の標識
石祠には小さな双体道祖神が祀られていた
いま紅葉ですっかり美しい周囲の山々
静かな道を歩く。路傍には多くの石仏がある
ふり返ると富士山。頂には雪が積もっていた
北風をふせぐ樹齢200年以上の風よけ松林
ケヤキの大木がある神戸八幡社の境内
両塚の原形を残している御射山神戸一里塚
樹齢400年のみごとな一里塚の大ケヤキ「神戸一里塚」
わかりやすい歴史同好会の本陣跡の説明
馬つなぎ石がある明治中期の馬宿跡
寒さと乾燥に適した茅野市の寒天の里
濁酒(どぶろく)を山の神に供えた酒室神社
三階建ての宮川寒天蔵跡。いまはホールに
諏訪大社上社前宮にお参りして記念写真
豪壮な拝殿の諏訪大社上社本宮も参拝
ふじりんごの収穫。大きな一個を頂いた
「こんにちは!」元気な子どもたちの声
上諏訪駅近くに「諏訪五蔵」が並んでいる
かつては厚い氷が湖面にあったが、いまは?
諏訪高島城。本丸の表門(冠木門)から庭園へ
藩主の墓がある温泉寺から諏訪湖をのぞむ
びっくり先宮神社のケヤキ(樹齢650年)のこぶ
鯉料理が名物の茶屋橋本屋。高島藩主も訪れた
歌人島木赤彦の住居跡。庭には立派な松がある
甲州道中53里目(最終)の富部の一里塚碑
ついに下諏訪宿ゴール。中山道と合流した
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