宿泊先の上諏訪駅前のホテルから青柳駅へ。午前8時すぎ青柳駅からスタート。旧道には欠けた石仏がみられる。金沢宿は天保14年(1843)の宿村大概帳によると宿内家数は161軒、うち本陣1、問屋2、旅籠17軒、宿内人口は622人いた。
金沢宿はいま宿場の面影はない。本陣跡近くの泉長寺に寄ってみた。山門手前に「おてつき石」がある。これは金沢に移住した人々が宿役人の前で「この金沢宿に居つけますように」と両手をついて祈ったという。
通りには明治まで営業した「馬宿」がある。その前には「馬つなぎ石」がある。火の見ヤグラの道に入ると小松三郎左衛門が処刑されたという場所がある。本陣・問屋場を務めた小松三郎左衛門は、金沢宿の金沢山の入会権をめぐって千野村と争い、幕府に直訴しようとして高島藩主の怒りにふれ、処刑された。いまは如意輪観音が祀られている。また、近くに追分道標「左たかとう道」がある。伊那の高遠藩、飯田藩はこの金沢宿から江戸にむかっている。
金山大権現を祀っている権現の森にはたくさんの石仏石像がある。立派な石像はなにを意味するかわからない。これを見学した後、旧道に入る。やがて「寒天の里」という大看板がみえる。この地の気候は寒天つくりに適しているという。
「のぞみ大橋」がみえてきた。これを渡ってしまったのが大きなまちがい。ガイド本にある小さな橋がみあたらない。「これはおかしい」と感じながら歩くと、KITZ(バルブ会社)の建物がみえる。近くの人に聞くと全くちがう道を歩いていた。こうなると元に戻るしかない。のぞみ大橋ではなく、手前の跨線橋から旧道に入る道があった。細い道をひたすら歩く。マンホールをみると「諏訪湖流域」と「御柱祭」が刻印されている。
やがて国道20号に合流する建蔵橋に着いた。交差点脇には馬頭観音、道祖神、常夜灯などが真っ赤なカエデの下にあった。近くの酒室神社に寄った。この神社は「御射山(みさやま)祭りに濁酒(どぶろく)を作り、山の神に供える前夜祭をとり行なった神聖な地に祀った神」だという。いわば濁酒の神様といえよう。境内には「雨降り塚」と呼ぶ古墳がある。
道路の右わきに小さな階段がある。上るとそこには大きな「三山大権現」の碑などがある。羽黒山・湯殿山・月山権現は山形県の出羽三山の山岳信仰で、そこへの参拝記念に石碑を建てたものだ。小道を下ると、民家の間に解説板と碑だけの江戸から五十里目の一里塚跡がある。その隣には長野県に多い「双体道祖神」があった。
国道に戻ると豪壮な三階建ての土蔵造りが目につく。ここは寒天の保管庫であった。真向いには信州みその醸造元がある。観光バスのツアー客が買い物をしていた。裏側には宗湖寺があるので訪ねた。この寺は諏訪家の藩祖・諏訪頼忠の菩提寺だ。
さらに歩くと茅野駅近くに諏訪大社上社大鳥居がみえてきた。中山道の旅では、すでに下社春宮と下社秋宮は参拝している。ここまで来て参拝しない手はないと思い、駐車場に入る女性に「ここから上社まで何キロありますか」とたずねた。「遠いので車にどうぞ。ご案内します」とうれしい返事。まずは上社前宮へ。さらに上社本宮まで乗せていただいた。参拝後、タクシーで大鳥居まで戻った。
きょうは上諏訪まで歩く予定だ。すでに午後2時をすぎている。国道20号をしばらく歩いて旧道に入る。諏訪家の菩提寺である頼岳寺に寄った。道脇にはリンゴがたわわになっている。収穫しているご夫婦から大きなフジリンゴをいただいた。この旧道には秋葉山常夜灯、双体道祖神が並んでいる。下校中の小学生が「こんにちは!」と大きな声であいさつしてくる。集団でも2,3人でもきちんとあいさつしている。秋葉山常夜灯が何か所もある、傍らには双体道祖神が祀られている。
やがて国道20号に合流。もう上諏訪宿に入っている。この街道沿いには、わずか500mの間に「諏訪五蔵」という5軒の酒蔵が並んでいる。すでに夕方5時になっている。一路、上諏訪駅前のホテルへ。