旅日記

9月6日(火)府中→日野→八王子へ 23.2km

 朝6時半、府中市役所近くの高札場からスタート。府中宿は甲州街道(道中)の旅籠数では八王子の横山宿についで二番目に多い。天保14年(1843)の宿村大概帳によると本陣1、脇本陣2、旅籠屋29、人口は2,762人いた。また一膳飯屋、茶屋、菓子屋、髪結い、湯屋、荒物屋など142軒の商家があったという。だが、その宿場の面影はみあたらない。
 しばらく歩くと、本宿交番前に火伏せの秋葉大権現の常夜灯(寛政4年)がある。村人は夕刻になると灯籠に火をつけたにちがいない。近くの熊野神社の裏に飛鳥時代の古墳(国史跡)があるので見学をした。発掘後の古墳は、無数の石で整備されている。「きれいに整備しすぎ」という印象が残る。
 やがて湯島天神、亀戸天神とならぶ関東三天神のひとつ谷保天神(国立市)がみえてきた。菅原道真を祀っている。「甲州街道は17世紀のある時期まで、谷保のあたりの立川段丘の下を通っていたので、本殿・拝殿は街道を面し、南向きに建てられている」(都教育委員会)が、いまは段丘を下がって本殿にいく。境内には羽のきれいなニワトリが放鳥されていた。
 旧甲州街道に沿って歩くと、下水処理場近くに「日野の渡し場跡」がある。土手を上がると多摩川がみえる。川岸には釣り人が数人いる。なにを釣っているのだろうか。浅瀬では引率の先生と一緒に子どもたちが川遊びをしている。渡し場の解説板によると「三月から十月までは渡船、渇水期の十月から翌三月までは土橋だったが、文政7年(1824)以降は渡船となった。日野渡船場は1926年に渡船廃止」とある。
 日野宿に入ってきた。道路の上には多摩モノレールが走っている。スポーツ広場をすぎると本陣跡がある。日野宿は江戸から10番目の宿場だ。ここには二軒の佐藤家の屋敷があって、本陣、脇本陣を務めた。本陣坪数は117坪、東京都内に残る唯一の本陣建築だ。本陣前には「日野宿交流館」がある。隣には問屋場・高札場跡の碑がある。
 日野は「新選組のふるさと」で知られている。新選組の土方歳三や井上源三郎が生まれ育った土地。ここには近藤勇や沖田総司が剣術を教えにきていた。寄り道して、本陣から約1キロ離れた「新選組のふるさと歴史館」を訪ねた。ここには新選組の誕生から終焉までの足跡などが展示されている。
 日野駅を越えて、やがて広大な日野自動車の敷地がみえてきた。この工場内に「上人塚」がある。交渉して中にはいることができた。入口から遠くないところに30m位の円形の塚がある。この塚は一体なんだろうか。「中世からの塚で、塚の性格は不明だが、祭祀を行った場所か、土地の境界を示す標識として築かれたものと推測される」(日野市教育委員会)。写真を撮ろうとしたら、工場内の撮影はNG。
 暑い中、ひたすら歩いて八高線をまたいた。もう八王子市に入っている。浅川の大和田橋に「焼夷弾・弾痕の保存について」の解説板がある。それによると、八王子市は1945年8月2日未明、米軍のB-29爆撃機の空襲で約450人が死没、2千余人が負傷。この橋の歩道上に焼夷弾の痕跡を保存しています、と。
 新町の竹の鼻一里塚跡で一休みしてからJR八王子駅へ。


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