旅日記

9月7日(水)八王子→駒木野→小仏へ 18.7km

 朝7時半、八王子駅からスタート。昨日の大和田橋でもふれたが、空襲で八王子市街地の約8割が焦土となった。現在の八王子市は人口約58万人、2017年には市制100周年を迎える。
 八王子(横山宿)は甲州道中では一番大きい宿場だった。天保14年(1843)の甲州道中宿村大概帳によると宿内人口は6,026人、本陣2、脇本陣3、旅籠34軒があった。いまは広い道路に高いビルが建ち、宿場の面影はない。道路標識には「日本橋から46km」とある。
 西へ数キロ歩くと、追分道標がある。文化8年(1811)の建立で「左甲州道中高尾山道」とある。1945年8月2日の空襲で四つに折れてしまい、石を補充して復元したという。ここから1キロ余はみごとなイチョウ並木がつづく。ここ千人町は千人 同心に由来している。追分道標近くには「八王子千人同心屋敷跡記念碑」がある。千人同心は1組100人で10組に分けられ、日光東照宮の警備や江戸火消し役も担った。
 近くの宗格院を訪ねた。ここには同心頭の松本斗機蔵の墓(天保12年)がある。この境内には「石見土手」がある。八王子総奉行の大久保石見守長安が浅川の氾濫を防ぐため慶長年間に築いた石垣堤が数十メートル残っている。
 ふたたび国道20号を歩くと、やがて多摩御陵入口に着いた。少し遠いが寄り道して陵墓にお参りした。「武蔵陵墓地」には大正天皇多摩陵、貞明皇后多摩東陵、昭和天皇武蔵野陵、香淳皇后武蔵野東陵の4陵がある。広大な敷地の陵墓だ。2015年1月末、東海道を歩いたとき天智天皇(大化の改新時代の中大兄皇子)の京都・山科陵への長い道のりを思いだした。
 道は高尾駅に近づいた。駅前で昼食休憩。近くの川の流れをみるとホッとする。「高尾駒木野庭園」の旗がある。昭和2年に開設された住居兼医院の建物と庭園を持主が平成21年に八王子市に寄贈して、いま市民に開放している。
すぐ近くに「国史跡・小仏関跡」がある。小仏関所は戦国時代からあったが、徳川幕府の重要な関所として現在地に移された。元和9年(1623)以降、関所番が配備され、とくに「入り鉄砲に出女」は厳しく取り締まった。この関所あたりが駒木野宿(八王子市裏高尾町)の中心地で、ここから近くの小仏宿とは合宿で、月の半分ずつ問屋場の継立業務を行なっていた。
 小仏川に沿って歩くと、路傍には石仏石塔が何カ所かみられる。ここまで来ると静かな旧街道を歩いていると感じる。川沿いの道ばたに狭い水路があり、石段がついている。ご近所の人にお聞きすると、井戸がなかった時代に洗いものなどに使用したという。上を見上げると、高い所に中央自動車道(中央道)が通っている。車の音が聞こえないほどの高さだ。
 マス釣り場の近くに小さな橋がある。せせらぎの音が聞こえる。「高尾山・国有林」の看板がみえる。中央線のガードをくぐると小仏宿の中心らしいが、宿場の面影はみあたらない。
 15時40分、終点の小仏バス停から高尾駅行きのバスに乗る。次回は小仏峠を越えて神奈川県の相模原市にあるいくつかの宿場を歩く予定だ。


TOP