旅日記

11月17日(木)上諏訪→下諏訪へ 14.5km

 上諏訪宿は諏訪高島藩の城下町で、天保14年の宿村大概帳によると宿内家数は232軒、うち本陣1、問屋1、旅籠14軒あった。いまは宿場の面影はない。
 午前8時ホテルから近い諏訪湖を散歩した。湖近くの草地で数十羽ものカモがさかんに地中にいる虫をつついている。公園にはスケーターの像もある。その昔、諏訪湖は全面氷結してワカサギの穴釣り、アイススケートもできたが、いまはどうだろうか。
 足をのばして高島城を訪ねた。高島城は豊臣秀吉の家臣日野根高吉が慶長3年(1598)に築城。当時、城の際まで諏訪湖の水が迫り、別名「諏訪の浮城」と呼ばれたというが、いまは湖からだいぶ離れている。関ケ原の戦い後は、徳川家康の家臣諏訪頼水が藩主となり270年の間、諏訪氏の居城となった。いま本丸跡には天守閣が復興され、郷土資料室、高島城史料室、展望台になっている。石垣の一部も残るなど往時をしのぶことができる。
 寄り道で6キロ近く歩いてしまった。前日のゴールからふたたび旧道歩きにもどった。高島藩主廟所がある温泉寺を参拝した。参道には真っ赤に映えたカエデが印象的だった。寺の裏に「高島藩主諏訪家墓所」がある。階段の奥には二代目の忠恒から八代目までの石塔が並んでいる。また室や子どもの墓17基があり家臣が献納した石灯篭も多数あった。270年つづいた藩主の重みを感じる。
 旧道にでて児玉石神社の巨岩をながめていると「街道歩きですか?」と声をかけられた。1年かけて甲州街道を歩いているというご夫婦だ。旅の流儀はいろいろある。ぼくだって参勤交代日程の倍以上かけて旅している。近くの先ノ宮神社に推定樹齢650年という大ケヤキがある。目通りは7.4m、樹高は25mもある。大きなこぶができている立派な巨樹だ。
 やがて高島藩主も訪れたという茶屋「橋本政屋」がみえてきた。諏訪湖でとれた湖産物を料亭料理でだしたという。現在の建物は江戸後期に建てられた木造二階建てで、茶会、展示会などに貸している。建物と蔵の間には廃城になった高島城三の丸門を移築している。
 近くに歌人の島木赤彦住居跡がある。赤彦は明治30年久保田家の養子になり死去までこの家で生活をした。士族の家作りだが閉まっていた。庭の赤松は樹齢300年余の立派な松だ。石碑には「雪ふれば山より下る小鳥多し 障子の外にひねもす聞ゆ」の歌碑がある。
 左眼下に諏訪湖がみえる。甲州道中最後の一里塚碑がある。解説板には「あと11町(1100m)で賑やかな下諏訪宿に着き、中山道につながる」とある。承知橋を渡ると諏訪大社下社秋宮が近い。その前に「専女(とうめ)のケヤキ」がある。樹齢千年という巨木だ。裏にまわると巨木は半分空洞になって天がみえる。
 下社秋宮の脇の道を通るといよいよ甲州街道もゴールだ。京への中山道歩きの途中、下社秋宮に寄ったのは2015年7月9日だった。ついに「甲州道中中山道合流之地碑」に午後1時半に到着した。記念に近くの「オルゴール記念館」で家族用にお土産を買い求めて帰宅へ。
 甲州街道は日本橋から下諏訪まで約210kmだが、ぼくの15日間の歩数計の距離は315kmとなった。寄り道の多い旅だったが、現地発着で1日平均21キロ歩いたことになる。


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