旅日記

9月2日(金)高井戸→布田五宿→府中へ 20.0km

 朝7時半、八幡山駅をスタート。国道20号を離れて数キロ歩くことになる。大橋場跡に下山地蔵と青面金剛像がある。どちらも18世紀初頭の建立だ。近くの小さな広場に「せたがや百景標石・45旧甲州街道の道筋」の標識がある。そのなかに「昔の街道筋を偲ばせる風景は残っていないが、‥‥道の由来を知れば、その時代の道筋の風景を脳裏に浮かべることもできます」とある。
 仙川を越えると、ふたたび国道20号と合流。「日本橋から20km」の標識がある。調布市に入ってきたので緑が多い。「瀧坂旧道標石」に馬宿川口屋とある。坂道には薬師如来像と首のない地蔵菩薩がある。道沿いには風化の激しい地蔵尊もある。
 野川を渡るともう布田五宿(国領・下布田・上布田・下石原・上石原)に入る。布田五宿の町並みは長さ3キロ余しかない。天保14年(1843)の甲州道中宿村大概帳によれば旅籠屋は9軒だけで、五つの宿場は宿間が短いため、六日交代で宿駅業務をしていた。甲州街道にはこのような合宿(あいしゅく)が多い。なぜだろうか? 他の街道とくらべ交通量も少なかったにちがいない。
 旧街道にある常性寺、蓮慶寺などをお参りして、ふたたび歩くと日本橋から6里の「市旧跡・小島一里塚跡」の碑がある。街中の通りには「映画のまち調布」のフラッグがみられる。また調布市は近藤勇(多摩郡上石原村生まれ)でも知られている。西光寺には新選組局長・近藤勇の座像がある。
 旧街道を歩いていると黒板塀の広い敷地の旧家がある。さらに進むと幕末に建立した常夜灯を目にした。甲州街道で初めて気づいた道沿いの常夜灯だ。西武多摩川線踏切手前に「旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕(えんたいごう)」の矢印をみつけた。この近くにいまも調布飛行場がある。数百メートル歩くと、掩体壕が保存されていた。戦時中、戦闘機を空襲から守るため上をコンクリートで覆いそのなかに隠しておく。いまでは多くが土に埋まっている。隣家の人にお聞きすると、子どもの頃、この壕でよく遊んだという。冷たい麦茶とお茶菓子をいただきしばし雑談をした。
 江戸初期の甲州道中古道に7里目の「常久一里塚跡」(府中市)があるらしいが、どこにあるかわからない。近くの人にお聞きすると、京王線沿いの品川街道ではないか、という。やっと「史跡一里塚」の碑と解説板をみつけた。もう夕暮れ時だ。府中の街中に「府中FC東京」のフラッグがなびいている。
 大國魂(おおくにたま)神社がみえてきた。以前、境内にある「ふるさと府中歴史館」を見学したことがある。この神社は幕末までは六所宮、六所明神と呼ばれていた。家康時代社領500石を寄進され、武蔵国では最高だったという。神社の歴史は古く平安末期には「武蔵六所宮」と呼ばれるようになった。
 このあたりに府中宿の本陣、脇本陣、問屋場などがあった。現在では宿場の面影を残す建物はほとんどない。高札場を左に曲がるとJR府中本町駅にでる。次回はここから日野、八王子をめざして歩くことになる。


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